サブローのメモ帳(仮)

駆け出しライターが書く練習として思いついたことを独断と偏見満載に語っています。ご連絡はracoon3buro@gmail.comまで。

謹賀新年&400PVありがとうございます

あけましておめでとうございます。

昨年から始めたこのブログ、合計で400回も見て頂くことが出来ました。

立ち寄ってくださっている方々、ありがとうございます。

 

海老も入ってないのに材料費だけで2~3万くらいかかってしまって家族のほとんどが箸をつけないおせちをどう食べようか、こたつでまったり必死にレシピ検索をしています。

来年こそは1万くらいでちょっとだけ入っているおいしい既成おせちを買いたい。

 

こんな様子ですが、ぜひぜひ今年もよろしくお願いいたします。

親のせいにするなって言うけど

やはり親の影響が大きいところはあるのではないでしょうか。

大の大人だろうが関係なく、小さいころに染みついたことって影響しますよね。

 

私も、こればかりは自分のせいでこうなったことじゃないんだろうなというところがあります。

ちょっと言われただけですぐ落ち込むんです。

どのくらいって言ったら、「ちょっと醤油取って」って言われただけで一日落ちこんで過ごすくらい。

そりゃ家族とか親友とかといっしょにごはん食べるときにちょっと醤油取ってって言われたくらいではさすがに落ち込みません。

でも、あまり仲良くない人とか知らない人と一緒にご飯食べた時にちょっと醤油取ってって言われるともう落ちこんじゃう。

「ちょっと醤油取って」を「こっちは今醤油が必要でお前の前にあるのになんで気づかないの」って変換しちゃってるんだと思います。そういう感覚がある。

 

これ多分、親に散々気が利かない気が利かないって言われて、そこそこ八つ当たりもされて、しつこいくらい同じこと何度も何度も必要ない時まで言われ続けてきたのが原因だろうなと最近は思ってます。

学生時代は本当に落ち込んで、人となるべく関わりたくないと思うようになった一因でした。これだけがすべての原因ではないんだけど。

 

今はもう分かってるので、気持ちをうまくコントロールできるように修行中です。

相手は別に気が利かねえなと思ってるわけじゃない、いや思ってるかもしれないけど、要求として表現してくれて、それに自分は応えられたから、これはこれで完結したやり取りなんだよって一人もんもん考えてます。

話せば通じると思って表現してくれてるのであって、そう考えると話せば通じると思ってもらえるのはむしろうれしいことなんじゃないかとも。

何も言わずに近くまでドスドス来てわざとらしく目の前から醤油持ってかれたらそれは明らかに気が利かねえなってことだけど、そういう表現の仕方しちゃう人は明らかに相手にも問題があるからそれは落ち込まなくなってきました。

 

刷り込みにかかった時間だけ気にしなくなるまでかかるかもしれないけど、気づいたからにはどうにかしたい。

「大人なんだから」ってすぐ言う前に、ちょっと一呼吸考えてみると自分の中にも思い当たることがあるかもしれないと思って日々過ごしてます。

 

「それ知ってる」問題について

相槌で「それ知ってる」ということに悩みを持っています。

人に伝聞系で話題提供して、冷たく「知ってる」だけ返され話が終わる。

近頃は付き合う人も限定されてきたのでそういうことも減りましたが、以前はよく悲しい思いをしたものです。

悩みませんか、「それ知ってる」。

 

それ知ってる問題が発生するのは大体雑学や情報についての話題なのではないでしょうか。

何が問題になるのか。

まあ、張り合いですよね。

新情報について、ステータスとして振りかざされた時に、もう知っている場合はカチンと来るのです。

明らかに相手に対してマウントを取りたくて「知ってる?」と言う相手には、降りかかる火の粉を払う目的も含めて、言い捨てるのも選択肢の一つなのかな、仕方ないかなとも思います。

 

話題を広げたくて提供した時に言い捨てられると悲しいのですよね。

そしてそこから、自分が知っている情報を相手からもたらされた時の反応にも困ってしまいます。

知ってるって言い捨てられた時何に悲しくなるのかと言えば、「自分がマウントを取りたがっていると思われ迷惑がられる」こと、「話題が広がらずに終わってしまう」ことです。

知ってるって言ったら気まずくなりそうだなあ、でも知らないふりをするのも苦しいなあ、と考えると悩んでしまいますよね。

 

知っていた場合、私は「知ってる」と言ったうえで、なるべく関連情報も絡めたりして話題を膨らませることにしています。

ただ知ってるって言うだけとか、他の情報も追加するだけだと対抗みたいになってしまうので、言い方にも気を付けます。

自分がどう思っているかとか、考えたことを一言付け加えると、「そのお話面白いですよね、もっと話しましょう」の合図に出来るんじゃないかなと思っています。

 

相手の言い方によってカチンと来るときもたまにありますが、そういう時も、とりあえず話をできるだけ広げます。

話をしたがってくれているのでなく、マウントを取りたがっているだけの人は大体これで興味なさそうになるので、判別も出来るんじゃないでしょうか。

 

 

「それ知ってる」問題に阻まれて会話がうまく出来ない人って結構いるのかなと思って、自分なりの対策を記してみました。

コミュニケーション強者になりたいです。

セブンのエビチリがおいしかった話

今まで、エビチリが食べたくなった時にはスーパーで売ってるチルドの玉ねぎを入れて作るセットを買って作って食べていました。

ただ、セットに入ってる海老が段々ピラフに入っているような小ささになってきて、もう数年買ってませんでした。

味も甘みが強いし玉ねぎとソースが余るし、家庭の食卓の一品にというのならいいかもしれませんが一人ではすこし持て余すようになってしまって。

 

先日セブンに行ったら冷凍食品コーナーにエビチリがあったので、買ってみました。

おいしかったですよ。

ソースはしょっぱめで辛味がそれなりにある。

海老は6個くらい入ってて、プチプチ食感もしっかりあって、衣もちょうどいいボリューム。

ご飯のおかずや酒のつまみにぴったりという一品でした。

 

正直、独り者でたまに贅沢してエビチリが食べたいくらいなら、スーパーで200~300円出してセットを買って作るより、セブンで350円出してコレ食べたほうがいいのではないかと思います。

おいしいし手っ取り早いし。

それでももっと立派なのが食べたければ、1000円だして中華屋で食べるよ。

セブンの冷凍食品に興味がわいたので、定期的に色々試していきたいと思います。

おいしかったりなにか思うところがあればまたブログに書きます。

 

 

認定ランサーになりました

このタイミングでですか、と不思議な気持ちもありますが、この度認定ランサーになりました。

ありがとうございます。

私が認定ランサーになれる日は来ないのだろうと考えていましたが、なれるものなのですね。

より一層頑張ってまいります。

 

どうでもいい記事を書いては発信せず下書きにたまっている日々ですが、少しずつ進歩しているようです。

「知識がないと話してはいけない」時代は終わる

私の学生時代でも、教授が言ってました。

「我々と話したければ同じだけ知識をつけろ」

 

しかし、そのような時代はまもなく終わりを迎えるでしょう。

いえ、すでに終わってるのかもしれません。

小学6年生が文房具についてまとめた本を出版したり、世界を股にかける親について回るこどもが才能に注目されたり。

動画サイトが脚光を浴びる少し前から若年層から才能が生まれることは増えていましたが、ここのところそれは非常に顕著になっています。

 

知識以上に熱意や才能が認められるようになってきているのです。

部分点の評価が細かく見てもらえるようになってきた、というようなところでしょうか。

それはつまり、生産性の低い行動を強制されることが減るということです。

 

多くの人間が部分点で評価されるようになるのはまだかなり時間がかかるでしょうが、いつかそれが当たり前になることを願っています。

 

”人間味”ってなによ?

人間味がない、とよく言われます。

目が笑ってない、感情が読めない、とも。

統計学的な占いでまで言われる始末!

”人間味”ってなんなのよ?

 

自分では感情のままに過ごしているつもりなのですが、なんだか機械的に感じられるよう。

最近はなんとなく分かってきました。

こうしてライティングなどでやり取りをしていると確かに、淡々とし過ぎていると感じられます。

文章で、顔文字や絵文字を使わなくても、なんだか彩りに溢れていて優しそうだったり面白そうだったりする方はいらっしゃいます。

私はかなり事務的。

だから落ちる提案も多いんだろうなと気づいたんですが、直そうとしてもこれがむずかしい!

華やかな文章を書ける人は、もしかしなくてもそういう修行を積んでいるのでしょう。

ああ、その修行、受けたい!