朝は温かいスープ!低血圧でもスッキリ!?
私は低血圧「気味」くらいの人間です。
貧血もギリギリ正常値の下限あたりの数値です。
貧血「気味」。
そんな程度ですが朝には弱くて、なかなかスッキリ動き出すことが出来ません。
とにかく起きなきゃと起き上がっても、椅子に座ってぼーっと一点を見つめてるのか特に何も見えてないのか、結局30分から1時間はロスしています。
低血圧に限らず(?)朝弱い人は、朝スッキリ目を覚ましてささっと動き出せる人に憧れている人も少なくないはず。
そんな人におすすめなのが、朝温かいスープを飲むこと。
知ってらい!という方にはすみません。
でもこの前びっくりしたので。
今まで散々カップスープのCMなどを見ていて朝スープは効く、というのは知ってはいたのですが。
売るための宣伝文句だろ、と思って実践したことはなかったのです。
中高までは準備してる間に目が覚めるような生活だったし、大学では学校のすぐ近くに住んでいたので本当にギリギリまで寝ていて飛び起きては走っていくという生活でした。
この前。この前、いつも通りボーっとしているうちにいきなりあたたかいスープが飲みたくなって、冷蔵庫に保存してあったトマトソースを暖めお湯で溶いて飲みました。
目が覚めること目が覚めること!
体に力が入らなくてだるくて思考にもやがかかる感覚が、ふわっとほどけていくようでした。
今すでに実践されている方にはあまり効果はないかもしれませんが、朝スープを経験したことのない方には劇的に効くかもしれません。
私はかなり効きました。
これが続けたらどうなるのかは分かりませんが。
ポトフなんかを作ってあっても、基本朝は冷たいまま食べてました。
温めたほうがいい。
ぜひ、朝だるくてなかなか動き出せない人は、温かいスープを食べてみてください。
求めるものがあって買いに行くと品切れという現象
名前はあるんでしょうか。
先日、ファミマにヨーロピアンほにゃららポテトを買いに行ったらありませんでした。
この前別のようで行ったときはあったのに!
あとファミマもセブンも、カルビ弁当を買おうと思って行ったらありませんでした。
アイス買いに行ったときはあったのに。
ファミマに行って見つからないから、セブンにも行ったのになかった。
どうしようかと考えながら棚見てたらミニの焼き肉弁当があったのでそれにしました。
食べたらやっぱり大きいカルビ弁当のほうがおいしかったです。
この前はスーパーで、豚のひき肉パック(大)を目当てに行ったら売り切れでした。
ハンバーグも餃子もひき肉レタスチャーハンも作れやしません。
から揚げを目当てにコンビニに行けばやっぱりないし、おでんの大根とこんにゃくとウィンナーを買いに行くとはんぺんしかない。いや、はんぺんはおいしいですが。
何か目当てのものがあって買い物に行くと肝心なものがないという現象、名前がつかないものでしょうか。
別に名前がついても起きなくなるわけではないんですが。
焦って詰め込んでしまい失敗するって話、やってしまった。
散々先達に忠告頂いていたことでも、やはり失敗してしまうものですね。
焦り過ぎて仕事詰め込み過ぎると失敗するってやつです。
お願いされていたテストライティング間に合わせられませんでした。やってしまったー。
あれも!これも!って早く稼げるようになりたくて詰め込み過ぎたせいです。
二兎を狙って一兎も得られませんでした。お恥ずかしい。
未熟者です。
焦らず、地道に、しっかりやっていかなければ。
途中まではかけてても完成しなければ意味などないのです。
特に暑い地域にはソフトクリームの展開がない?
夏というと特に暑い地域として名前の出るところに住んでいます。
移ってきてから何年も経ちますが、あまりソフトクリームを見かけません。
地元が涼しい地域でよくソフトクリームを屋台や外の店で売っているのを見かけてたので、こちらに来てからソフトクリームをほぼ見かけなくて愕然としています。
地元でソフトクリームが占めていた市場はまるっとかき氷です。
暑いとソフトクリームは溶けやすいし氷の方が需要があるということか。
ソフトクリーム好きとしてはさみしさのある夏です。
ファミレスにソフトクリームのメニューが増えないでしょうか。
接客って難しい。
あたりまえなんですが。
さっき気づきました。
やり取りをするとき、クライアント様の対応力につい依存してしまってます。
これではいけません。
慣れてらっしゃるクライアント様とだとスムーズに進められるのに、あまり慣れてらっしゃらないんだろうなっていうクライアント様がお相手だと軸がブレブレになってしまう。
当然と言えば当然。
でも、確実に私の経験不足があるし、影響は小さくないと実感しています。
経験はあるからやり方は知ってていざとなれば出来る上で普段はカメレオンのように相手に合わせてスタイルを変えるのと、経験がないから軸の保ち方も分かってなくて相手の経験によってやり方が色々変わってしまうのは、全然違います。
恥ずかしい!やるしかない!
逃げたい!やるしかない!!
8月の予定はパンパンです。
それでもまだまだ大して稼げないのがつらいところ。
少しずつ少しずつ仕事増えて来てるから、今が耐え時だと思ってやります。
まず勉強したほうがいいのは気の利かせ方ですね。
家族にも今以上に尽くしてみようかな。
人のために謝れる環境がほしかった
ここのところジメジメ記事が増えております。
偏見と独断で描いてるって名言してるブログだからいいんでしょうが、できれば人を励ませる記事も書けるようになりたいサブローです。
挨拶で割とPNごり押ししてるけど別にそこまでこだわりのある名前ではないので無記名記事も大好きです。
この前楽しい雰囲気で話してる中で、何人かが悪乗りが過ぎてしまった時。
私は輪の中でたまに相槌打ちながら話聞いてるだけでしたが。
少人数ならかなり喋る方でもあるんですが、どちらかというと聞く側の人間なので。
悪乗りの標的(という言い方をしておきます)になった人も気を悪くされたわけではなかったと思うんですが、イカン方向に流れる可能性もあるという分岐のような雰囲気になったんです。
まとめ役の方が悪乗りを抑えた時、悪乗りしてた方たちは気まずそうだったけど何かフォローが入れば場を悪くせずにおけるなと思いました。
そうしたら自然と、私が「ごめんね楽しくなっちゃって」と言えたんですよ。
自分で驚いてしまいました。
学生時代は、お互いによく思ってない人しかいなくて、だからその人達のために何もしてない私が謝るなんて確実に損をすると思ってましたから。
いつの間にか全て私のせいにされているおかしな状況だったのも頑なになる要因でした。
おかしい。
責任を人になすりつけてその人を責めるとか、その人の何が悪いか考えもせずに人が責めてたらとりあえず便乗して責めるとか。
例えば…そうだな、教育係の人に分からないこと質問しても「私も分からない。やり方説明書に書いてあるから」ばかりで、でも説明書には書いてない。
誰に聞いても同じ答えだから自分で調べて考えてやるけど、うまくいかない。
そしてすぐに、「あいつ何も聞かないで勝手にやってこんな失敗した。聞けば教えたのに」って噂が広まってて、関係ない人にまでお前のせいでって言われる。
自分の失敗はそりゃ自分の責任ですが、教えられなかった人の責任まで被るのは御免だと思いました。
私の要領も悪かったんですが、そんなことばかり。
ずるい。そう、ずるいですね。
そんなずるい人がいるなんて大学まで知らなかったな。
たいした世間知らずでした。
だから、社会に出た後もこんな人たちのために謝るなんて本当にどうしたって嫌だと思っていました。
かばったってそれで当然みたいな顔をして、自分の失敗もフォローしてくれた人のせいみたいに言う。
そんな人ばかりの中で、フォローばかりさせられるなんて嫌でした。
でも今回は、自然に出来た。
嫌だって強く思っていたことも思い出さずにです。
フォローしてから、気づいて衝撃を受けました。
出来るじゃないか。
他の人が話を続けている中、内心軽く混乱していました。
場の雰囲気で変わるんですね。
楽しい雰囲気がとても好きな空間だったので、壊したくないなと思ったんです。
悪乗りしてた本人ではないけど、ごめんねって言った後も全然苦しくもなかったし、屈辱になんて思いもしませんでした。
軌道修正できてよかったなってそれだけです。
むしろ安心して、また楽しく会話を続けることが出来ました。
まだ動揺が続いています(笑)
信じられなかったな。
私自身成長した部分もあったんでしょうが、でもそれだけで出来るようになることでもありません。
相性や雰囲気がかなり大事。
大げさかもしれませんが、守りたいなと思うものがあると出来るんですね。
今回はしゃべくってる場の雰囲気ってだけでしたから、そんな大層なものではありませんでした。
でもこれ、勤め先とか家族とか、それがちゃんと納得できるものなら何でも同じなんでしょうね。
自分の失敗を人に被せるのもいやだし、人の失敗を自分が被るのだってごめんだと思ってたのに。
「物語の中だけの美しいお話じゃなかったんだ」って(笑)
場所と関わる人間を変えればよくなることもあるって実感できました。
自分の失敗は自分がどうにかするしかない状況が一番いいと思って、そうできる環境に進むことにしました。
今になって変わるわけじゃありませんが、いざという時出来ることは増えたと思います。
「載」の字が好き
思っていたより短期間で3回目、ニッチな興奮カテゴリです。
好きな漢字ってありませんか?
私はあります。
これ好き、これ好きって、なんとなくで好感を持つ対象。
その一つが「載」の字。
報酬の「酬」とか応募の「募」は得意ではありません。
いえ、書くのが得意かどうかというか、まあ好感のある字はさらっと出てくるのでそれもありますが。
何がいいんでしょう、栽培の「栽」はそこまででもありません。
載。何ででしょうね。
連載の載ですから、もしかしたら、禁止されながらも溢れる熱意でどうにか漫画を読んでいた小学校時代、友達から借りたジャンプやりぼんの「新連載!」という言葉が染みついているんでしょうか。
漫画。
結構長いこと、漫画を無駄なものでこどもに読ませてはならないものだと信じ切っていた母に、なかなか読ませてもらえませんでした。
お小遣いで頑張って集めた漫画をほとんど捨てさせられたことも。
「自分で選んで処分できるよう配慮してるんだからマシだと思いなさい」とかむちゃくちゃなこと言っちゃって。
もう覚えてないんだろうな。
好きで集めた漫画を、自分の手で段ボールに詰めて車に運ぶ。
あの作業を思い出してはむなしさに襲われます。
貯めたお小遣いで買った漫画をブックオフに売って、そのお金はなぜか母に回収されたわけです。
おかしいなー。
当時は頑張って強がって「家のためになるならいいよ」とか言ってました。
「当たり前でしょ」みたいに母は一切悪く思ってなかっただろうしだからこそ今何にも覚えていないんだろうし。
だめですね。
思い出したら腹が立ってきました。
腹が立ったってどうしようもないのがまたむなしい。
皆さん腹が立ったことはちゃんと即時処理していきましょうね。
後から効いてきますよ。
いい加減諦めてはくれましたが、もっと早く気付いてほしかった。
脅迫じみたような怒られ方ばかりされて、他のことは諦めたりいい子にしていたりしていた私ですが、漫画だけは諦められずに様々な手を使って読んでいました。
そもそも漫画を買う機会をあまり得られなかった身としては、たまに手に出来る週刊誌はリアルタイムで漫画の最新話が追いかけられるとても貴重なもので、さらに新連載なんていう新しい連載が始まるタイミングに居合わせられる号は、希望に満ち溢れていたんでしょうね。
今でも当時の話題作の連載が始まった号を見たときの高揚を覚えています。
確かリボーンとDグレイマンは一週違いで連載開始でしたね。
どっちが先だったのかは忘れてしまいましたが。
なつかしいなー!
「新連載」に感動より寂しさを覚えるようになったのはいつだったんでしょう。
大好きだった作品が終わっても漫画家さんは描き続けなければならず、しばらくすると我々が最終話の余韻から立ち直る前に新連載が始まったりします。
置いて行かれているみたいで寂しいと思ったのはいつだったか。
新作は新作で好きになるんですがね!
少年漫画より少女漫画を読む割合が高くなってからだったかな。
少年誌は漫画家の入れ替わりが激しいですが、少女漫画雑誌は漫画家さんが安定して何作品も連載してますから。
だから「連載」に何か思うことが積もって、載の字が好きだなあと思うようになったのかもしれません。
好きな字とその理由を考えるだけでかなりこのカテゴリ増えそうだな。