サブローのメモ帳(仮)

駆け出しライターが書く練習として思いついたことを独断と偏見満載に語っています。ご連絡はracoon3buro@gmail.comまで。

頑張る人はなんだってかっこいい

今年もよろしくお願いいたします。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

年末、高校生の高速調理対決みたいな番組を偶然視聴しました。

チームワークを大切にしてるチームの子達が、頭を付き合わせてミーティングしていました。

その姿がもうまるきりプロで。
がんばって努力を続ける人の姿はなんだってかっこいいんだって学びました。

しめるとこはしめて、ワイガヤ的に楽しみながらも意見を出すとこは出しつくす。
わたしがずっと憧れてきたミーティング、そのままの姿だったんです。

 

衝撃を受けました。

ああいう姿というものは、プロになって何年も磨かれないと出てこない雰囲気やなにかが関係していると思っていたのです。

だから、もう就職先が決まっているとは言え、まだ実際に集団で仕事をした経験がないだろう彼女たちがその域に到達している様子が、正直ショックでした。

ミーティングがあるような仕事に関わったことはいまだない(そしてこれからも関わる可能性は残念ながら低い)身として、経験値は同じくらいかな~と、油断してみているところもあったので。

一気に突き放されたような。

覗いているのがただのこどものチャレンジではなく、非常に優秀なプロの限りなく研ぎ澄まし突き詰められた限界を超えようとする挑戦の世界なのだと気づきました。

大変失礼いたしましたと。

ミーティングの部分から思わず背筋を正していました。

 

全力ですべての時間をかけて打ち込むということが出来ないときも多くて、きっと彼女らのようになることは出来ないんだろうという、どうしようもない諦めを改めて自覚しながらも、勇気ややる気をもらったなと。

これからしばらくあの姿を忘れることが出来ません。

一回りも年下の子達の立派なプロとしてのあの姿を。

 

もう大卒からもしばらく経ってますしこのネット社会ですから、年下の才能というものは嫌でも散々目にしてきました。

私より全然有能で色々なことが出来る年下の才能たちに無力感を勝手にたくさん感じてきましたが、この子達と同じ○才にわたしは何をしてたんでしょう。
今まで何をしてきたんだろう?
なんでこれだけ頑張れないんだろう?

進みかたもかかる時間も人によるって頭では分かってるけど感じてしまっていたのが

、今回はもう、芸術を見たような、本当に一流の現場を覗かされたような…そのような気持ちになりました。

最近は気持ちも追い付いてきて、自分に出来る頑張りかた精一杯続けていくというスタイルを維持できるようになってきたんです。

 

ついつい焦っちゃうところを、今日の彼女らを見て、焦らず頑張るモチベーションをもらえました。

いつか彼女たちがこれから更に大きな壁にぶつかって心が折れたとき、こういう風に
畑の違う知らない誰かの姿を見て、頑張れるなって気持ちになれることを祈るばかりです。大きなお世話にもほどがありますが。

 

 

というか、そもそも全国大会の決勝だし第一線のプロに3人も味見てもらえるし、
わたしで言えば全国から募集したコンペで皆が名前を知っている作家さん方の審査で賞もらうみたいな状況なんだからもうこの子達…いえこの方達はまさに一流なんですがね。

試合が引き分けで審査してるのみてて冷静になってきました。
いい勝負でまるでスポーツの試合見てるみたいで手汗がすごい。
30分じゃ実際なにも作れない…と思うと、余計理性を失います。


きっと忙しいレストランなんかはこんなときもあるんだろうなーとか。

いつかどこかで彼女達の作った料理が食べてみたいなーと思ったし、決勝戦に至るまでに戦われた子達の料理も食べれたらいいなとも。

あまり外食しないので、ああいう料理人さんが作るお店にもっと行くようにしたい。
そのためにももっと頑張ろうねとも思えました。

 

あの闘いに参加されたすべてのリトルシェフに、お疲れさまでした。

ありがとうございました。

 

ノーミュージック、ノーライフ。まさに。

私は、中学時代、高校時代、学生時代…と、区切られた時期を抜け出すと途端に思い出すのが嫌になるくらいの黒歴史に思えてしまいます。

実際自分としては、あれはなかったこれはなかったと自分の行動が恥ずかしいことに思えて、黒歴史の塊のような気持ちなんですが。

卒業すると一斉に恥ずかしさやいたたまれなさが襲い掛かってきます。

 

そういうわけで、その時代を思い出すものにはその後積極的に触れられなくなるんですが。

先日、当時聞いていたMDを気紛れにひっくり返して色々聞いてみるというチャレンジをしてみました。

当時好きで聞いていた曲は、当時の思い出と結びついていて、聞くと思い出せる…と聞いていたので思い出し恥ずかしくなる覚悟を決めていました。

でも驚いたことに、思っていたより思い返してつらくなりませんでした。

なにせMDにどんな曲を入れていたかもほぼすべて忘れていたくらいだったので、とにかく色々忘れてしまえたようです。

それもそうです。もう10年経つんですもの。

 

ついこの前まで思い出してつらい気持ちになっていた感覚があるのですが、いつの間に忘れてしまえたんでしょう。

なんだかスッとしたような、解放されたような、さみしさがあるような。

 

まだまだ思い出してつらくなる記憶で埋もれていないものも急に夢に見るものもたくさんあるのですが、今回みたいにいつか忘れてしまえると思うと、つらさが多少薄らいで、生きる勇気とでも呼ぶべきものが湧いてきます。

10年経てば忘れられる。

 

中高時代、当時は「忘れる」ことが嫌で怖かったりもしたんですけども。

「忘れる」ことが出来ることは、やはり生きていくうえでとても大事ですね。

 

ただ、曲も記憶も全て霧の彼方ということもなく、この曲好きだったとか、これは誰に借りたCDだったとか、そういうことを思い出すこともできました。

嫌な記憶と一緒に忘れてしまっていた優しい記憶です。

どのごはんがおいしかったとか、誰と誰と一緒にトイレで馬鹿話して休み時間を潰したとか、友人とお腹がよじれるほど笑ったのはどんな話題だったろうとか。

大人になったら忘れてしまうんだろうなと当時思っていたようなこと。

その通り、大人に――本当になれているのかと聞かれるとうつむいてごまかしてしまうところなんですけれども――なってすっかり忘れてしまっていたことです。

 

サヨナラの挨拶と同時に教室を飛び出すような帰宅部で、部活もしなければ学祭でみんなと盛り上がるのも避けがちだったり、受験のために遅くまで学校に残って友達と切磋琢磨しなかったり、絵にかいたような青春とはほど遠かったと今までは思っていました。

でも今、当時聴いてた曲を聴いて、忘れるべきことを忘れて、忘れすぎていたことを思い出して、改めて考えてみると、それでもやはり青春だったんだろうなと思います。

制服を着て、音楽を聴きながら横断歩道の信号待ちをしていた、あの空気の香りは今はもうありません。

 

そっかー、と。

 

音楽が与えてくれるものを見つけたお話でした。

ふーんノーミュージックノーライフね、へー…と思っていたのを改めます。

まさに、ですね。

貧乏人は下手に舌を肥やしてはいけない

汚れつちまつた悲しみに。こんにちは、サブローです。

 

先日、知り合いの結婚式に出席してきました。

とてもいい式でした。

新郎新婦の友人が沢山いらしてて、お色直しもございまして。

新婦の中学時代の部活仲間による出し物も素敵で。

 

何が問題か。

なんとこのご時世の結婚式には珍しく(ないかもしれないですが)、料理にすごく凝ってくれていたのです。

フレンチのコース。

ウニ、タイ、カニ、ホタテ、和牛、小ぶりな高級野菜たち、上等なソースの数々、あげくにはまさかの世界三大珍味キャビアフォアグラトリュフ様。

まともな形をしているトリュフを初めて食べました。

いつも粉状だったり出汁だけだったりしたから。ぶっちゃけしいたけのがおいし

カンパーニュとコーヒーワインビールお代わり自由、シャーベットにデザートのプチケーキに切り分けたウェディングケーキ。

腹いっぱいどころではありませんでした。

しかも泊りで行ってきたので。

ホテルを取るわけです。

そのホテルの食事もおいしいわけです。

フレンチが自慢の地域だったようでフレンチだらけだったので、フレンチバイキングの朝食を付けてみました。

楽園でしたね。

朝食でオムレツとローストビーフ切り分けの注文が出来ると聞いて即オムレツを注文しました。

具入りと書いてありましたが聞いたらプレーンももちろん可能とのことだったので、そりゃもうね、プロの作るプレーンオムレツなんて贅沢極まりないようなものをですね、頼むわけですよ。

写真を撮っておけばよかった。

テンション上がった食い意地クソ野郎は、記憶に残るよう大切に一口一口食べることしか考えられなくて写真が一切ありません。

一刻も早く口に入れたかったんですね。

未来の自分のことすら考えていない自己中心的な部分がここからも垣間見えていますね。滅びろ。

 

色はきれいに黄色く、つやっとしていてでも油っぽすぎもせず。

漂うのは品のいいバターの香り。

張りがあるんです、トロッとした中身でパンパンですよと言わんばかり。

デルモントのケチャップをテュッとかけてとうとうフォークの出番です。

ひと刺しで緊張感、ふた刺しで解放感。

トロ… どんどんあふれてくる黄身!立ち上がる湯気!ハイ想像して!

この上ない幸せでした。

思い出すだけでこの幸福感。

プロのオムレツはつよい。

 

 

と、一通り可能な限りの飯テロをしてみたところで、何が問題かという話題に戻りましょうか。

問題も問題です。

舌がバグる。

すごいバグる。

何を食べても物足りなさしか感じられず、単純なうまみに走るしか対処策がない日々。

地獄か。

人の舌は想像以上にすぐ天国になじんでしまうのです。

人間本体がさっさと日常に戻っても舌の感覚だけは天界から地上に戻ってこようとせず、彼の世界に必死にしがみつくのです。

トマトとか納豆とか昆布とかシンプルでもうまみのある食材を単体で摂取することでしか慰められません。

これはひどい問題でしょう。

 

これに懲りて、上等すぎる食べ物を連続で摂取する機会がつぎ来たときは警戒を怠らないようにしようと思います。

貧乏人は、舌を肥やしてはいけない。

イケメンに指示されるとムカつく説

先日SNSでみかけました。

「かわいい女の子にお茶を入れてもらうとやる気が出る」という中年男性の意見が通るなら、女性も「イケメンに指示されるとやる気が出る」から仕事の支持はすべてイケメンを通してもらいたいという話。

 

イケメンに指示されるとむしろムカつくのは私だけでしょうか?

 

ムカつくというのもすこし違うし言い方が過激ですが!

美女なら厳しくされたって大喜びで仕事ができますが、イケメンだといまいちです。

今迄に出会ってきたちょっと顔が良い程度のイケメン達が総じてクズだったからかもしれません

イケメンにいい思い出がない。

 

イケメンよりまともな人格の上司に普通の指示をされたいです。

それが普通ですね。

 

でも普通が一番難しいんですよね。

世の中にそんな上司がどれだけいることでしょう。

かといって自分がそういう上司になれる気もしません。

まともな人格がそもそもあまりいない。

世の中世知辛いですね。

 

明日も頑張るぞ。

たまには進歩した点を振り返ってみることも大切という話

定職について、毎日しっかり働いている人々に囲まれています。

当然です。世の中の大半の人はそうだから。

そうすると、不定期に稼ぎを得て、金銭面でも身体面でも助けられながらなんとか生活している人間としては、頻繁に精神的に苦しくなる時があります。

何をやってるんだろうと。

以前は、本当に何をやっているんだろう、どうして普通のことすら出来ないんだろうと思い詰めることも多々ありました。

ただ、それでは今の状態すら続かなくなってしまいます。

だから、定期的に、亀の歩みでもいいから進歩している点というのを考えることにしています。

そして考えてみると、思っているより大きく進歩しているのです、これが。

 

まず、まだ健康とは言い切れないんですが、中学卒業くらいまでは毎年入院していたのが入院まではいかなくなりました。これは大きいですね。

年に2,3回は風邪をひいて高熱を出していたのも、年に1回くらいになりました。高熱の半分くらいの熱は出る頻度高くなったけど。その程度ならセーフと考えます。

足の炎症とか喘息とか、その他持病でマラソン大会は毎年見学してたのも、同じくらいの距離なら散歩できるようになりました。今は8キロほどならいけます。これも大きいです。

アレルギー…は少し悪化したり反応するものが増えたりしてるけど、対処方法が身についてきました。

持病は……進歩してない部分が見えてきたので違う面に目をそらすことにします。考えなかった振りも大事です。

 

洗濯物をかごに入れたまま乾かしてしまうようなものぐさも、かなり改善しました。

棚の配置がめんどくさいところにあるおかげで棚に戻すまでは行かないことも多々ありますが、洗ったらすぐ干して取り込んで、畳むところまではやってますからね。文化レベルは上がってるでしょう。

掃除だって、交換式の掃除道具のおかげで頻度が大幅アップしましたし、掃除機だって使うようになりました。音が大きいからなるべく避けたいけど、掃除機使わないとどうしようもないときは躊躇しなくなりました。これも大きな進歩。

 

締め切りだって守れるようになりました。恐ろしいほどやる気のかけらもなくて、締め切りというものが苦手どころではないという子供でしたが、今ではしっかり期限前に提出できます。

これはただ自分のコントロールの仕方を覚えただけですが。

逆算法、いいですよ。

作業に必要な最低限の時間を考えて書き出し、この日には手を付けないと物理的に時間が足りないという日を割り出します。そして、丁寧に作業をしたいならさらにどれだけ必要かを考えて、各作業の段階を細かく表で作ります。

毎日、作業を進めたら表を埋めていって、定期的に進捗をチェックし、スケジュールを組み直すというやり方です。

単純だけど、これが結局一番でした。

 

もの書きの仕事も、大きな仕事は全然ですが、以前よりはお仕事させていただけることが増えました。

応募しても応募してもガンスルーだったのが、応募した5件に1件は書かせてもらえるくらいの状況です。

うれしいことに、お声かけいただける機会も増えました。本当にありがとうございます。

残念ながら体調の問題や条件が合わずにお断りさせていただくこともあって、非常にもったいない気持ちです。申し訳ない。ありがとうございます。

 

書き出したことの大半は、人からしてみれば全然進歩ではないような進歩です。

そもそも人は風邪をひいても高熱を出さないことが多い、と初めて知った時はかなりの衝撃を受けました。

色々な面で、もともとかなり遅れたところにいるんだと自覚したとき、とても歯がゆい思いをしたものです。

でも、無理に足並みを揃えようとして引きずられて削れていく方がつらいし後々が大変ということは、もう嫌というほどわかっています。

無理をしない程度に、少しずつ頑張り続けるしかないのです。

そして頑張るためには、出来るようになったことを考えてみるのはいいことだなと。

人と比べるとダメダメでも、以前のダメダメよりはマシなダメダメならまだ希望が持てるじゃないですか。

 

今は、役に立つかわかりませんが、資格を1つ取ろうと考えて勉強中です。

資格自体はもしかしたら役に立たなくても、勉強した内容は絶対役に立つだろうと。

無理をしない程度に、精進です。

知り合いの知り合いとの合流が苦手か否か

人見知りにもいろいろな種類がある、とはSNSではもう常識のようになってきています。

人見知りという言葉通りに、知らない人にはもう最初からカッチコッチになってしまって、それが何回か会ううちに段々とよくなっていくタイプ。

初対面の人には問題なく親しやすいくらいの態度で接することが出来るけれど、もう一回会うとそこから人見知りの地が出てくるタイプ。

初対面にもそこそこ緊張するけど、いつまで経っても緊張がなくならないタイプ。

もっといろいろなタイプがあって、それが混合してぱっと見は人見知りだと思われない人も相当いそうです。

 

私も人見知りをします。

初対面はそこそこ問題なく流せるけれど、次から会う時から気が詰まってしまって喋らなくなります。しかもその緊張とか警戒が5年くらい続くタイプ。

毎日見かけるような相手だったら3年くらいでしょうか。

基本的に人間関係って3~5年で入れ替わっていくことが多いので、もう全ー然打ち解けられないまま、もしくは少しずつ慣れてきたくらいの時に振り出しに戻ります。

人見知りこじらせてますね!

 

そんな中でも、興味深い話題を見つけました。

「知り合いの知り合いとの合流が苦手か否か。」

私の友人にもひとり、いつまで経ってもある程度の緊張をなくせないタイプの人がいます。

その人は、知り合いの知り合いとはなるべく合流したくないと言ってました。

大体のヒトミシラーはそうでしょう。

人見知りじゃなくてもちょっと構えることでもあります。

だって知らない人だし。

仲介する知り合い自身とは合ってても、こちら側と合うとは限らないのですから。

「違う知り合いの人も一緒になるんだけどー…」という話が出ると、なんとなく少しだけ空気が青みがかるような気がするものです。

 

でも、私はそんなに苦手でもありません。

 

そういう状況になるときというのは、おそらく両者の知り合いがその人の都合や希望によって引き合わせるものだと思います。

向こう側が嫌がってるのを知り合いに無理に引き合わされるようなときは私も苦手なんですが、向こう側が特に問題ない場合は平気なんです。

むしろ、向こうがちょっと構えちゃうけど少し話せば大丈夫かも、くらいの状態でも行けます。

私が初対面では問題ないタイプだからかもしれませんね。

そこからSNSでつながったり、そこそこ交流するようになれば、2度目からの人見知りも軽度ですみます。

4、5年くらい猫かぶっちゃいますが。

 

どうでしょう。

この記事を読まれたご自身やお知り合いのヒトミシラーは、知り合いの知り合いとの業流、苦手そうでしょうか?

意外といけそうなのでしょうか?

少し観察したり、話題にしてみると、面白いかもしれません!

 

”同一人物”と猫で言いたい場合はどうしたらいいのか。

われながら素晴らしいと思えるようなネタは全然思いつかないのに、くだらないことはいくらでも頭に浮かんでくるものです。

せっかくなので少しすさんだ心を適当に癒すために調べて考えてみました。 

 

人であれば”同一人物”という言葉で表される状況を”猫”について表現したい場合はどのようにすればよいのでしょう。 

小説などでは大体「本当に同一人物なんだろうか…猫だけど」「本当に同一人物…いや猫物?なんだろうか」のような書き方をされていることが多いようです。

でも猫物というのも、なんなのか。

 

人物という言葉を調べてみると、下記の通りの意味があるようです。

 

岩波書店広辞苑第六版より】

1.人。人間。人類。

2.人がら。人品。風采。

3.役に立つ人。すぐれた人。人材。

4.人と物。人と他の生物。万物。

 

明鏡国語辞典より】

1.(描写・言及などの対象としての)人間。人。

2.人柄。ひととなり。

3.才能・人格などの優れた人。

 

引き出しの中に10年ほど眠っていた電子辞書を引きずり出して調べました。

ちなみに、ものすごく久しぶりに開いた電子辞書は、電池から何か漏れ出していてサビなのか漏れたものが固まったのか、裏面が粉を吹いているような状態でした。使わなすぎて壊れてしまっただろうか高かったろうに、と当時買ってくれた親や資源への罪悪感他ちょっとした感情ーー主にマイナスの方向のーーをもって掃除して電池交換して電源を試しにつけてみたら、なんと問題なく動いて感動しました。

ありがとう日本の技術力。

 

しかしなんとも、調べてみたらむしろわからなくなってしまいました。

人の中身についての言葉のようです。

 調べてる中で恥ずかしながら知らない単語「人品」「風采」が出てきたのでついでに調べたところ、「人品」は人の品位、「風采」は人の身なりなどの見かけのことだそうです。

また、風采は否定的に評価する際に使われる言葉だそうで。

勉強になりました。

 

こうして「人物」という言葉を調べてみると、猫ひいては人間ではないものを「人物」という言葉らしく表すというのは使う人間と受け取る人間のセンスによる部分が非常に大きいのかと思えてきました。

基本的にそういうものなのでしょうけれど。

 

息抜きでは済まなくなってきたので、今日のところはひとまずこれで思考中止することにします。

こういう適当なネタも、すぐ自分一人じゃ簡単に結論を出せないような方向に走っていってしまいますね。考え事って難しい。