焦って詰め込んでしまい失敗するって話、やってしまった。
散々先達に忠告頂いていたことでも、やはり失敗してしまうものですね。
焦り過ぎて仕事詰め込み過ぎると失敗するってやつです。
お願いされていたテストライティング間に合わせられませんでした。やってしまったー。
あれも!これも!って早く稼げるようになりたくて詰め込み過ぎたせいです。
二兎を狙って一兎も得られませんでした。お恥ずかしい。
未熟者です。
焦らず、地道に、しっかりやっていかなければ。
途中まではかけてても完成しなければ意味などないのです。
特に暑い地域にはソフトクリームの展開がない?
夏というと特に暑い地域として名前の出るところに住んでいます。
移ってきてから何年も経ちますが、あまりソフトクリームを見かけません。
地元が涼しい地域でよくソフトクリームを屋台や外の店で売っているのを見かけてたので、こちらに来てからソフトクリームをほぼ見かけなくて愕然としています。
地元でソフトクリームが占めていた市場はまるっとかき氷です。
暑いとソフトクリームは溶けやすいし氷の方が需要があるということか。
ソフトクリーム好きとしてはさみしさのある夏です。
ファミレスにソフトクリームのメニューが増えないでしょうか。
接客って難しい。
あたりまえなんですが。
さっき気づきました。
やり取りをするとき、クライアント様の対応力につい依存してしまってます。
これではいけません。
慣れてらっしゃるクライアント様とだとスムーズに進められるのに、あまり慣れてらっしゃらないんだろうなっていうクライアント様がお相手だと軸がブレブレになってしまう。
当然と言えば当然。
でも、確実に私の経験不足があるし、影響は小さくないと実感しています。
経験はあるからやり方は知ってていざとなれば出来る上で普段はカメレオンのように相手に合わせてスタイルを変えるのと、経験がないから軸の保ち方も分かってなくて相手の経験によってやり方が色々変わってしまうのは、全然違います。
恥ずかしい!やるしかない!
逃げたい!やるしかない!!
8月の予定はパンパンです。
それでもまだまだ大して稼げないのがつらいところ。
少しずつ少しずつ仕事増えて来てるから、今が耐え時だと思ってやります。
まず勉強したほうがいいのは気の利かせ方ですね。
家族にも今以上に尽くしてみようかな。
人のために謝れる環境がほしかった
ここのところジメジメ記事が増えております。
偏見と独断で描いてるって名言してるブログだからいいんでしょうが、できれば人を励ませる記事も書けるようになりたいサブローです。
挨拶で割とPNごり押ししてるけど別にそこまでこだわりのある名前ではないので無記名記事も大好きです。
この前楽しい雰囲気で話してる中で、何人かが悪乗りが過ぎてしまった時。
私は輪の中でたまに相槌打ちながら話聞いてるだけでしたが。
少人数ならかなり喋る方でもあるんですが、どちらかというと聞く側の人間なので。
悪乗りの標的(という言い方をしておきます)になった人も気を悪くされたわけではなかったと思うんですが、イカン方向に流れる可能性もあるという分岐のような雰囲気になったんです。
まとめ役の方が悪乗りを抑えた時、悪乗りしてた方たちは気まずそうだったけど何かフォローが入れば場を悪くせずにおけるなと思いました。
そうしたら自然と、私が「ごめんね楽しくなっちゃって」と言えたんですよ。
自分で驚いてしまいました。
学生時代は、お互いによく思ってない人しかいなくて、だからその人達のために何もしてない私が謝るなんて確実に損をすると思ってましたから。
いつの間にか全て私のせいにされているおかしな状況だったのも頑なになる要因でした。
おかしい。
責任を人になすりつけてその人を責めるとか、その人の何が悪いか考えもせずに人が責めてたらとりあえず便乗して責めるとか。
例えば…そうだな、教育係の人に分からないこと質問しても「私も分からない。やり方説明書に書いてあるから」ばかりで、でも説明書には書いてない。
誰に聞いても同じ答えだから自分で調べて考えてやるけど、うまくいかない。
そしてすぐに、「あいつ何も聞かないで勝手にやってこんな失敗した。聞けば教えたのに」って噂が広まってて、関係ない人にまでお前のせいでって言われる。
自分の失敗はそりゃ自分の責任ですが、教えられなかった人の責任まで被るのは御免だと思いました。
私の要領も悪かったんですが、そんなことばかり。
ずるい。そう、ずるいですね。
そんなずるい人がいるなんて大学まで知らなかったな。
たいした世間知らずでした。
だから、社会に出た後もこんな人たちのために謝るなんて本当にどうしたって嫌だと思っていました。
かばったってそれで当然みたいな顔をして、自分の失敗もフォローしてくれた人のせいみたいに言う。
そんな人ばかりの中で、フォローばかりさせられるなんて嫌でした。
でも今回は、自然に出来た。
嫌だって強く思っていたことも思い出さずにです。
フォローしてから、気づいて衝撃を受けました。
出来るじゃないか。
他の人が話を続けている中、内心軽く混乱していました。
場の雰囲気で変わるんですね。
楽しい雰囲気がとても好きな空間だったので、壊したくないなと思ったんです。
悪乗りしてた本人ではないけど、ごめんねって言った後も全然苦しくもなかったし、屈辱になんて思いもしませんでした。
軌道修正できてよかったなってそれだけです。
むしろ安心して、また楽しく会話を続けることが出来ました。
まだ動揺が続いています(笑)
信じられなかったな。
私自身成長した部分もあったんでしょうが、でもそれだけで出来るようになることでもありません。
相性や雰囲気がかなり大事。
大げさかもしれませんが、守りたいなと思うものがあると出来るんですね。
今回はしゃべくってる場の雰囲気ってだけでしたから、そんな大層なものではありませんでした。
でもこれ、勤め先とか家族とか、それがちゃんと納得できるものなら何でも同じなんでしょうね。
自分の失敗を人に被せるのもいやだし、人の失敗を自分が被るのだってごめんだと思ってたのに。
「物語の中だけの美しいお話じゃなかったんだ」って(笑)
場所と関わる人間を変えればよくなることもあるって実感できました。
自分の失敗は自分がどうにかするしかない状況が一番いいと思って、そうできる環境に進むことにしました。
今になって変わるわけじゃありませんが、いざという時出来ることは増えたと思います。
「載」の字が好き
思っていたより短期間で3回目、ニッチな興奮カテゴリです。
好きな漢字ってありませんか?
私はあります。
これ好き、これ好きって、なんとなくで好感を持つ対象。
その一つが「載」の字。
報酬の「酬」とか応募の「募」は得意ではありません。
いえ、書くのが得意かどうかというか、まあ好感のある字はさらっと出てくるのでそれもありますが。
何がいいんでしょう、栽培の「栽」はそこまででもありません。
載。何ででしょうね。
連載の載ですから、もしかしたら、禁止されながらも溢れる熱意でどうにか漫画を読んでいた小学校時代、友達から借りたジャンプやりぼんの「新連載!」という言葉が染みついているんでしょうか。
漫画。
結構長いこと、漫画を無駄なものでこどもに読ませてはならないものだと信じ切っていた母に、なかなか読ませてもらえませんでした。
お小遣いで頑張って集めた漫画をほとんど捨てさせられたことも。
「自分で選んで処分できるよう配慮してるんだからマシだと思いなさい」とかむちゃくちゃなこと言っちゃって。
もう覚えてないんだろうな。
好きで集めた漫画を、自分の手で段ボールに詰めて車に運ぶ。
あの作業を思い出してはむなしさに襲われます。
貯めたお小遣いで買った漫画をブックオフに売って、そのお金はなぜか母に回収されたわけです。
おかしいなー。
当時は頑張って強がって「家のためになるならいいよ」とか言ってました。
「当たり前でしょ」みたいに母は一切悪く思ってなかっただろうしだからこそ今何にも覚えていないんだろうし。
だめですね。
思い出したら腹が立ってきました。
腹が立ったってどうしようもないのがまたむなしい。
皆さん腹が立ったことはちゃんと即時処理していきましょうね。
後から効いてきますよ。
いい加減諦めてはくれましたが、もっと早く気付いてほしかった。
脅迫じみたような怒られ方ばかりされて、他のことは諦めたりいい子にしていたりしていた私ですが、漫画だけは諦められずに様々な手を使って読んでいました。
そもそも漫画を買う機会をあまり得られなかった身としては、たまに手に出来る週刊誌はリアルタイムで漫画の最新話が追いかけられるとても貴重なもので、さらに新連載なんていう新しい連載が始まるタイミングに居合わせられる号は、希望に満ち溢れていたんでしょうね。
今でも当時の話題作の連載が始まった号を見たときの高揚を覚えています。
確かリボーンとDグレイマンは一週違いで連載開始でしたね。
どっちが先だったのかは忘れてしまいましたが。
なつかしいなー!
「新連載」に感動より寂しさを覚えるようになったのはいつだったんでしょう。
大好きだった作品が終わっても漫画家さんは描き続けなければならず、しばらくすると我々が最終話の余韻から立ち直る前に新連載が始まったりします。
置いて行かれているみたいで寂しいと思ったのはいつだったか。
新作は新作で好きになるんですがね!
少年漫画より少女漫画を読む割合が高くなってからだったかな。
少年誌は漫画家の入れ替わりが激しいですが、少女漫画雑誌は漫画家さんが安定して何作品も連載してますから。
だから「連載」に何か思うことが積もって、載の字が好きだなあと思うようになったのかもしれません。
好きな字とその理由を考えるだけでかなりこのカテゴリ増えそうだな。
ツイッターがバカッターになるの何となく分かった
ツイッターで繋がりましょう系のタグをみていると、フォロワー増やしのためだけにいいね!して回ってる人も結構いるみたいですね。
ええ、どうでもいいネタを探してはネットの海を今日もさまよっています。サブローです。
偏見強めのお話です。
「繋がりましょう」って言ったら「相互状態になること」を指すと思うんですが、どうやら違うようです。
それで、その前提で直接改めてのお誘いはせずにフォローして、フォローしましたというリプを送っても、そのリプを見ましたといういいね!送信かどうもありがとう!のみで自分からはフォローしないっていう相手もいるみたい。
そりゃフォローした側は前提が守られないから不快になりますよね。
だからと言ってその不満をあてもなく何時間もつぶやき続けるのもどうかと思いますが。
ツイッターって自分を見てくれている人間の数を増やしたいって欲がかなり掻き立てられるんですね。
ツイッターには限らないんでしょうが。
ひとって結局数字が好きじゃないですか。ここ本日の偏見ポイント。
1が一人の人間だっていうことは大前提、その数がどれだけ多いかが結局自分が認められている認識になる。
そしてどんどんフォロワー集めが作業になって態度も横柄になっていくと。
これもバカッター、馬鹿製造発見機と言われる所以のひとつかなと。
どれだけ理性をもって向き合えるかで、ツイッターを使うのかバカッターに使わされるのかが変わりそう。
まあ、つながりましょうというタグは、「私に興味がある人いませんか?つながりませんか?」という意味で使用するのが意味通りの使い方ではないかなと傍から見ていては思うので、この場合はいいね!してフォローだけさせるっていうのは詐欺まがいかな。
押しかけ詐欺のようにも見えます。
だって、あなたのこと気になります!って見せかけで手を挙げておいてその実は、あなたのことはどうでもいいけど私のことフォローしてもいいですよ!ってことでしょう。
サイコパスなのかな?と思ってしまいますよね。
…全く分からないわけではありませんが。
数字が多ければ多いほど自分が認めてもらえた気がしてしまうのは分かります。
フォロワーが多い人を見ればうらやましいとも思うし、フォロワー整理をする際に最近全然つぶやきもしないアカウントを見るとこちらだけ外せば片思いされてる数が稼げるなって考えが浮かぶのも分かります。
ちゃんとブロックと解除で外しますがね。
わかるわかる。
ああでも私は「フォローしてもいいですよ!」っていういいねは送れません。
そこまで面の皮厚く出来るなら苦労はしてないかな。
一つ♡もらうだけでもうれしいから、増えてくとドキドキしてこんなに見てもらえたんだってなります。
まあ、今回見かけたケースはどっちもどっちだってことでしょうか。
フォロー帰ってこないのが嫌なら「つながりましょう」前提に甘えず、しっかり話しかけて繋がりません?そうしましょうかっていう言質をとるのが一番いいんでしょうね。
コンソメも入れない。野菜と塩コショウだけスープのいいところ
さっき野菜の雑レシピ上げたばかりですが、野菜っていって思い出したので。
一日一記事って決めて他は全部下書きにしてるといつまでも下書きが消えないから!
私はよく野菜スープを作ります。
面倒だから、コンソメもベーコンもソーセージも入れません。
入れたら入れたでおいしいんですが。
玉ねぎは絶対入れる。
他にニンジンとかキャベツとかジャガイモとか、あればピーマンやトマト、ホウレンソウにセロリも。
とりあえず野菜沢山入れて塩コショウで煮てしまえば、おいしくなります。
いや、分からない。
米だけでも食えるシンプルな味大好き人間だからかもしれないですが。
旨みはコンソメ入れるのとあまり変わらないくらいの味になると思います。
コンソメはコンソメ独特の香りとかあるから、コンソメ自体が好きな人は入れればいいです。
ベーコンとか肉類入れると脂がでるから、冷えると固まっちゃって温めないと食べられない。
それが面倒くさがりには面倒くさくて。
どれだけ面倒くさがりなんだって話なんですが。
温めなくても食べられるって結構楽です。
鍋ごといちいち温めてると結構ガス代かかるし。
レンジは熱くなり過ぎちゃうし。
夏だからちょうどいいんじゃないでしょうか、ひんやりヘルシーな野菜のみスープ。
ちょっと前流行ったデトックススープも肉入れなかったはず。
温野菜だから冷えないし…どうだろう、火は通ってるけど一旦冷ましちゃうと冷え対策に効果はないのか?
作るときに暑いけど、作ってしまえばあとは食べるのに気分的にも負担は少ないですよ!
そうめんやうどんばかりの中に、食べやすい野菜を取り入れてみては?