サブローのメモ帳(仮)

駆け出しライターが書く練習として思いついたことを独断と偏見満載に語っています。ご連絡はracoon3buro@gmail.comまで。

セブンのエビチリがおいしかった話

今まで、エビチリが食べたくなった時にはスーパーで売ってるチルドの玉ねぎを入れて作るセットを買って作って食べていました。

ただ、セットに入ってる海老が段々ピラフに入っているような小ささになってきて、もう数年買ってませんでした。

味も甘みが強いし玉ねぎとソースが余るし、家庭の食卓の一品にというのならいいかもしれませんが一人ではすこし持て余すようになってしまって。

 

先日セブンに行ったら冷凍食品コーナーにエビチリがあったので、買ってみました。

おいしかったですよ。

ソースはしょっぱめで辛味がそれなりにある。

海老は6個くらい入ってて、プチプチ食感もしっかりあって、衣もちょうどいいボリューム。

ご飯のおかずや酒のつまみにぴったりという一品でした。

 

正直、独り者でたまに贅沢してエビチリが食べたいくらいなら、スーパーで200~300円出してセットを買って作るより、セブンで350円出してコレ食べたほうがいいのではないかと思います。

おいしいし手っ取り早いし。

それでももっと立派なのが食べたければ、1000円だして中華屋で食べるよ。

セブンの冷凍食品に興味がわいたので、定期的に色々試していきたいと思います。

おいしかったりなにか思うところがあればまたブログに書きます。

 

 

認定ランサーになりました

このタイミングでですか、と不思議な気持ちもありますが、この度認定ランサーになりました。

ありがとうございます。

私が認定ランサーになれる日は来ないのだろうと考えていましたが、なれるものなのですね。

より一層頑張ってまいります。

 

どうでもいい記事を書いては発信せず下書きにたまっている日々ですが、少しずつ進歩しているようです。

「知識がないと話してはいけない」時代は終わる

私の学生時代でも、教授が言ってました。

「我々と話したければ同じだけ知識をつけろ」

 

しかし、そのような時代はまもなく終わりを迎えるでしょう。

いえ、すでに終わってるのかもしれません。

小学6年生が文房具についてまとめた本を出版したり、世界を股にかける親について回るこどもが才能に注目されたり。

動画サイトが脚光を浴びる少し前から若年層から才能が生まれることは増えていましたが、ここのところそれは非常に顕著になっています。

 

知識以上に熱意や才能が認められるようになってきているのです。

部分点の評価が細かく見てもらえるようになってきた、というようなところでしょうか。

それはつまり、生産性の低い行動を強制されることが減るということです。

 

多くの人間が部分点で評価されるようになるのはまだかなり時間がかかるでしょうが、いつかそれが当たり前になることを願っています。

 

”人間味”ってなによ?

人間味がない、とよく言われます。

目が笑ってない、感情が読めない、とも。

統計学的な占いでまで言われる始末!

”人間味”ってなんなのよ?

 

自分では感情のままに過ごしているつもりなのですが、なんだか機械的に感じられるよう。

最近はなんとなく分かってきました。

こうしてライティングなどでやり取りをしていると確かに、淡々とし過ぎていると感じられます。

文章で、顔文字や絵文字を使わなくても、なんだか彩りに溢れていて優しそうだったり面白そうだったりする方はいらっしゃいます。

私はかなり事務的。

だから落ちる提案も多いんだろうなと気づいたんですが、直そうとしてもこれがむずかしい!

華やかな文章を書ける人は、もしかしなくてもそういう修行を積んでいるのでしょう。

ああ、その修行、受けたい!

感動ものストーリーの使い方

感動ものストーリーはあまり好きじゃなかったんです。

嫌いではなく、見れば感動するんですが。

心が揺さぶられるとものすごく疲弊してしまって何もできなくなるので。

精神的にまで怠け者です。

30分アニメである、とってつけたような、クサイくらいの感動で十分。

 

ただ、いつまでもそれでいるのもどうなのかと考えてみました。

見たほうが勉強になることも多いだろうし、ずっと避けているわけにも行かないのではないか。

 

自分は置いておいて、まず人はなぜ感動ものを積極的に見るのかと考えてみました。

もしかして、みな心のもやもやを抱えていながら、昇華するために感動ものをみていたりするのかなと思い至りました。

 

私も。

ひとりでもやもやし続けていないで、し●ちゃんでも見てみようかな。

人々が買い叩きしないようにするにはどうしたらいいのか

私だけが買いたたきされてるということではありません。

相場を大幅に下回った価格で当然のように注文されるものが多すぎるのではないでしょうか。

外国では技術料というものを認めているらしいので、私も本格的にビジネス英語勉強して営業してみようかと考え始めてます。

 

ライティングもそうですが、デザイン関係もそうですね。

イラストもそうだし、とにかく目に見えない技術料というものが異常な安さで買いたたかれています。

ちょっと検索したらちゃんとしたホームページを1000~2000円で作ってくれなんて言ってるクライアントさんまでいる始末。

桁が2個も足りないってどういうこと?

 

こういった感覚が蔓延するのを防ぐには、どうすればよいのでしょうね。

そもそも、どうしてここまでになってしまったのでしょうか。

話し合いに意見を出さないのはコミュ障ではない説

ネット上では私もたまにチラチラごっこをして遊びます。

が、現実が絡む部分で思わせぶりにチラチラするのはやめておいた方がいい、と私は考えています。

あとネット上でも、何かのイベントなど計画を立てる現実的な話し合いではチラチラではなくしっかり意見として話した方がいいです。

 

何故か。

簡単な話、チラチラ…は何の意見でもないから。

せめて、出ている意見や提案について賛成か反対かくらいはしっかり言っておきましょう。

ハッキリ賛成か反対か決めることが出来なくても、どの部分には賛成反対とか、本当に本気でどちらの結果でもマジで不満はないとか、まとめ役の人に伝えないと。

自分ではなんとなく考えてることがちゃんとあると思うんですが、それはチラチラでは伝わらないのです。

 

聞かれていることに対して、チラチラしながら茶化したりはぐらかしたり。

それは「コミュ障」ではなくて、「話し合う気がそもそもないクズ」として受け取られてしまうんですね。

このブログではあまり強い言葉を使いたくないといつも考えて文章を打っていますが、今回は他に言葉を上手に見つけられなくて。

でも、そういうこと。

一つでもなにか自分から、自分の考えについて伝えましょう。

伝えるために言葉に表すと印象が悪くなると思われるかもしれませんが、違うのです。

引き延ばしてまるで表現する責任から逃げ続けているような態度の方が、よっぽど悪印象なのです。

意見を求めてきている人というのは、そもそも求めているので、何も与えられない方がマイナスです。

印象が悪くなることを恐れる気持ちは私も分かりますが、私の経験からするとそれで印象がよくなることもほぼありません。

何も生み出さなければ何も変わりません。当たり前です。

 

意見が特にないなら、「本当に意見はない」ということを伝えましょう。

「えー…?」チラチラ は意見がないという表現にはならないのです。

 

それで伝えたような気になってしまっている人でコミュ障だと自称する人がいますが、それはコミュ障とはちょっと違うのではないでしょうか。